brance beansー痛い過去と新しい今へー

主人公ノブちゃんが痛い過去と向き合い今を創造していく過程です。本当は面倒くさい人間なのを、隠すのではなくて公開して向き合っていこうという企画です。

教職免許もない私がなぜこんなに一生懸命なのか

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(リベラトリ・わかなさんにプレゼントしたブタさん。何年前だろう。なぜかうちの母とおそろい。)

 

私は、勉強出来る(出来た)から家庭教師やってるわけでも、受験をくぐり抜けた経験がアイデンティティーとしてあるから家庭教師をやってるわけでもない。「じぶんがこどものころにやりたかったことをやっている」という、これに尽きます。わたしはこどものころ、もっと勉強したかった。自分で考えたかったし、意見もいいたかった。それができなかったので、大人になった自分に「憧れ」を実行させてあげています。

 

こんな私は、都会などのあまりに非人間的な教育の話に触れるときに、激しく落ち込みます。「親のプライドのために、こどもを良い学校へ進学させる」などという話はまれに聞きますが、どうやら本当にある話のようで・・・。私の周囲には田舎だからか、そういった親御さんは一人もいらっしゃらないので信じられない気持ちです。こどものしあわせのために、こどものやりたいことを生かすための進学先を探すのが人間的だとわたしは考えますので、同じような親御さんが周りに集まってくださるのかもしれません。

 

とにかく「自分が勉強すること楽しい。」「こどもに話すこと楽しい。」この年になって、私には行動する理由がそれだけしかないのか・・・。情けない、と感じていました。しかし、理念といえば、理念とも言えることが、じぶんの中にあることにも最近気付きました。

 

私は教職免許を持っていません。なぜか?それは、大学生のときに、「絶対先生にはならない」と思っていたからです。なぜか?それは、ズバリ、「先生なんていちばん嫌な人種だ」と思っていたからです。なぜか?それはもうおわかりだと思います。私は、「先生に怒られないためにすると良いこと」を常に考えフル回転しながら生きてきた人間だったのです。

 

あの頃の、こどもだったころのわたしが、「こんな大人がそばにいたら、ヨカッタなぁ」と感じるような大人になりたい。実際なれてるかどうかは、当時の自分に会って「どぉ?」と聞くこともできませんのでわかりません。しかしそこだけは妥協せずにやりたい。

 

なんだか、「理念」とかいいましたが、これも、前半に書いたのと同じように、結局は「小さい頃の自分に、してあげたいこと」を、こんどは人を相手にしているという感じですね。

 

そんなわたしなので同業者のお知り合いにも、「先生らしい怖さの少ない人」を選ぶ傾向があります。「先生らしい怖さの多い人」には、出会った瞬間マウンティングを受ける前にすら、自分から受けてもいないそれをかわし、逃げてゆきます。出会えない仕組みです。

 

ながお のぶこ