気に入っていた服が、そうでなくなってしまったの。
奮発して買ったワンピースは独特のブランドのものだった。ある晴れた初夏の日に、さわやかな風が吹く展示室で、果たして6桁の金額を出していいものか迷った。
購入するとすぐに着替えた。優しい日だった。まわりもみんなが口を揃えて「素敵だ」と褒めてくれた。きっと素敵なんだと思って、仲間の一人を助手席に乗せて、帰宅した。
数週間後。同じブランドの熱狂的ファンである女性と小さなトラブルがあった。私の油断が原因であったと思う。こんなことであればなにも言わなければ良かったのだ。私の心は萎縮し、卑屈になった。彼女の敬愛する人間の完成させた美しいブランドを、乱暴で小汚い私が着用していては、迷惑だろう。そんな思考がよぎる。
このワンピースを着て、写真を撮る予定だった。
もう私の胸には、あの日のさわやかな風は吹いていない。
ここでこのワンピースを着なければ、「別の服にしたのはあなたのせい」と卑屈に不幸を他人のせいにすることとなる。それはとても、悲しいことだ。さらに健康的な彼女には、この思考は一切理解不能であることだろう。「どうしてそれが、私のせいになるんですか?」と多少の嫌味を込めて言い返す姿が浮かぶ。
私は少し疲れていた。