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brance beansー痛い過去と新しい今へー

主人公ノブちゃんが痛い過去と向き合い今を創造していく過程です。本当は面倒くさい人間なのを、隠すのではなくて公開して向き合っていこうという企画です。

「じぶんは特別な人間」と思っていたけれど・・・

 いきなり余談ですが、おもしろいもの、ちょっと間の抜けたものがすきです。美しいものはもちろん好きなんですが、それだけじゃいやだ。きもちわるい。得意でない。ゴマちゃんとかアザラシとか猫とか犬とか、横断歩道渡る熊とか、どうぶつとか、やさしいものとか、かわいいものがほしい。ゴマゴマ!

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 ここからが本題です。たぶん「育てられ方」によって、私は私自身をずいぶんと「特別な人間」だと思い込んでいたけど、そうではなかった。いや卑屈になっているわけでもなく、「人間は誰しもが特別!」という話でもなく、私が思い込んでいたようには、私は特別ではなかったのだと気付いたのが3日前。ぽっかりと浮かぶ秋の近い空の雲に、自分でも気付いていないうちに自分自身と成り代わってしまっていた存在を教わった。

 母は、私に「あまり女の子女の子していない風になってほしい」となぜだか常に願ったいたそうだ。実際そういう話も聞いていた。私は「あまり女の子女の子していない」存在へと成長した。それが窮屈なのではないかとハッとしたのも3日前。人は、窮屈だと気付けば、外の世界へ向かうための手立てを打つことができるけど、それに気が付かないうちは、変化を求めようもない。

 「ふつうのおうち」が羨ましかった。それがどんな家かといえば、こどもを「ちゃん」付けで呼んだりとか、名詞に「お」を付けて丁寧に言ったりとか、そういうちょっとした、気取りのある家だ。幼い頃よく母親に「お母さんはどうして、花に「お」をつけないの?」と質問した。母は「知り合いのこどもが、テストの時に、◎◎にあてはまる言葉を書きなさい、という問題で、「はな」と書かずに「おはな」の「おは」という部分を書いてしまったからだ」と言った。教育熱心であったわけでもない気がするのだが、これはいったいなんだったのだろう。

 

 気取ることが不徳であると学んだ私は、良い意味では「親しみやすい豪快なのぶこちゃん」として開花した。が、心の隙間は埋まることがなく、いつでも投げ出された「女の子」が声を立てずに見つめていた。