brance beansー痛い過去と新しい今へー

主人公ノブちゃんが痛い過去と向き合い今を創造していく過程です。本当は面倒くさい人間なのを、隠すのではなくて公開して向き合っていこうという企画です。

無口と付き合う歴

自分で選んで男性経験を積んだ時期のはじまりが、たぶん平均よりも遅いほうです。

きちんと「お付き合い」という形をとったと自分で思っているのが、26歳の時が最初です。

当時大好きだったカレは35歳。

そうなんです、天秤座新月の今朝、気付いてしまいました。

 

現在のわたしは、当時の彼の年齢になったのだ、と・・・

 

ガクガク((((;゚Д゚))))

おっさんやと思っていた(見た目も中身も若かったけどね!)のに・・・

 

彼はとにかく無口な芸術家タイプというか(派遣社員でしたが)

その後もは比較的無口な男性と関わることの多い人生の中で

最初の彼、日々感謝することが多いです。

よくぞこのわたしと連れ添ってくれたな、と。

別れたけども、その歴史があって今の自分がおるという感じです。

 

と、現在もまた、どちらかというと無口な男性を前に昔を振り返っています・・・。

男性はけっこうみんな無口だといいますが、私が好きな特有の感じがあるんだよな・・・

 

なんか「いや、そこふつうに言えよ、怒らないから」ってとこで

黙るような人好きやね。

あぁワクワクしてきた。

不安に煽られて行動し、「自分を粗雑に扱っているから、他者にも乱暴をはたらいてしまう」人へ②

前回から月日が流れてしまい、本日10月1日。天秤座の新月なんだって!

 

①の続きなんですが。↓

 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

>そんな性質(「優しさ」ではなく単に「性質」と私は定義します)を持っている多数の「気付く機会が思い込みにより阻害され続けた層」にしか出来ないことがあります。

 

 なんだと思いますか?考えてみてください。

 次回へ続きます。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

としてしまったわけですが

正直わたしも

わからない

ので考え続けているところ・・・・

 

 

オイΣ(゚Д゚)ノ

ただいえるのは、「答えはひとつじゃ無い」ってことでしょうか。

われわれは、「ひとつの答えを目指して解答をだす。それ以外は間違い」という教育をされすぎました。

人生などは、答えがでないものを、毎日考え続けるのが当たり前。

 

 

今日も考えますー。

え?もしかして続き、そこそこ待ってくれていた方とか、いたりしますか?

「なんだよ、こんな結論かよ」とか素敵な感想を抱いて下さったり。

ありがとうございます。遅くなってすみませんでした。

あなた様の健康と幸せを心よりお祈り致します。

ほんとに祈ってやるからな!

 

 

不安に煽られて行動し、「自分を粗雑に扱っているから、他者にも乱暴をはたらいてしまう」人へ①

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 私はこれ、めっちゃ気持ちわかりますし、長年そうでした。

「他者にも乱暴をはたらいてしまう」という対外的な結果だけがやはりクローズアップされますので、乱暴をはたらかれた側の人からは当然厳しく叱責されます。(当たり前だ。正当防衛だ)

 

 でも残念ながらその叱責が、私の心と魂に伝わって、

心底申し訳なかった、自分のも他人にも」と感じて詫びたことはなかったんです。

 

 これがさっき瞬く間にわかりました。

 「自分を大切にしない」という経験がない人にはわからないんですよ。どうして「不安に煽られて行動し、自分を粗雑に扱ってしまうのか」が。

 

 『「自分を大切にしない」という経験がほぼない人』には、2種類います。(わたしの考察)※

①体の感受性・エネルギーに対する感度が良すぎて、「徹底的に自分を大切にする」ことを追究することでしか生きてこられなかった

②愛を先祖代々、乳児期胎児期レベルで経験し、その後の外的環境の中でも内的環境を疎外する要因なく成長した

 

 

 ①、②で過ごしている人には、私たちがどうして「粗雑に生きてしまうのか」が理解できない、高い次元にいるんですよ。

 いま「高い次元」ときいて、がっかりしましたか?「じぶんはどうせ低い次元だ」と・・・

 

 私はそうは考えません。それはわたしが伝えたいことの本質ではありません。

私たちは、「粗雑に扱う世界」にその身を置き「自尊心の低さから自分を痛めつけ続けながら」も、こうしてこれまで生き延びてきました

 それはなぜでしょうか?

 やることがあるからに決まっています。

 

 自分を粗雑に扱ってしまう気持ち、とてもよくわかります。

自分が気付いたからといって、急に周りを見下したり、

「私はもうステージが上がった」といっていきなり態度を変えたり、出来ない人たちだと思います。

そんな性質(「優しさ」ではなく単に「性質」と私は定義します)を持っている多数の「気付く機会が思い込みにより阻害され続けた層」にしか出来ないことがあります。

 

 なんだと思いますか?考えてみてください。

 

次回へ続きます。

 

 

 ※「過去には自分を粗雑に扱っていたけど、いまはやめた」という層も多いです。この層で成功している人は、敢えて「低い次元は世界から消す」と決意して実行されている方もいらっしゃると思います。

 また、「自分を大切にする在り方」も半端な、初心者層もいます。「現状、自分を粗雑に扱っている層」にダイレクトにエネルギーを伝える力はありません。中途半端。私は現状ここに分類されるかな。

 

 

『自分はコミュ障である』と悩むあなたへ

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■私の場合は、一見コミュ障には見えないのです。

父親からも「ぜんっぜんそう見えない」と言われますし、

他者評価に頼りがちなわたしは、

じぶんはリアルでのコミュニケーションに長けたほうだ」と思って生きてきました。

 

でもその内情は、いつも葛藤がありました。

じぶんは本当のことを伝えられない・・・いつでも嘘をついている・・・そういう感じが付きまとい

人に(この件に関しては主に父親に相談しましたね)相談すれば「だいたいの人がそうだと思うよ」と言われ、とても苦しかった。

 

だいたいの人がそうなら、みんなはどこで、自分を見出して生きているんだろう。「だいたいの人がそう」って、相手の本当にいいたいことはわからないけど、わたしには、さしあたって「自分を否定された」感じしかなかったんです。

 

「だいたいの人が、そうなんだよ。お前が特別に悩んでいるわけではないんだから、さっさと前へ進め。=自分なんて捨ててしまえ。

 

こう、言われているように、ずっと感じてきました。

 

 

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※画像と内容は関係ありません。

(休息に貼ってみました)

 

10年前に、1人だけ、とても的確なことを言ってくれた(と私が感じている)友達がいます。

 「話を『聴く』のは上手だし、見習いたいけど、対等なコミュニケーションにはなっていないと思うよ。(^^;

この「(^^;」がどれだけ当時のわたしを苛立たせたか、ご想像がつきますでしょうか?

(笑)

でもこれが的確だったなぁとしみじみ。

 

■わたしは自分を上手に出せません。

しかし面倒なことに、「自分が無い」ということにして、その場を回すことは得意です。

「自分がもしいないとしたら」と仮定して状況を把握することが何故か出来るのです。

小学校くらいからそうだと認識してます。

だからコミュ障だなんて、最近まで思ったこともなかった。

そういった器用さと、あとは長所として割と誠実に人と接するところはあるので、仕事はお陰様でうまくいっています。

が、これを拡大していこうという気にならないので、いつまでも一定のところから成長していきません。

 

「私がいなかったら」と仮定した空間の中にも、私はいます。

これが想定外だったのです。

 

■「私」をもっと大事に人に晒していかないと、自分は拡大していかないのだなぁと、当然のような壁にぶち当たっているのです。

 

だから、おなじようにコミュ障気味(様々なパターンがあると思いますが)の方が居れば、お役にたてるかなと、こうして記してみています。

 この壁を打開するには、おそらく、

自分に残されている、なんでもいいから、長所・よいところ

に着目すべきだと私は発見しつつあります。

短所も、裏返せば長所だったりもするのではないか。

 

例えば私で言えば

面倒くさい性格

今まで完全に隠してきたつもりのものです。モテないのいやでしたし。

でも、本質的面倒くささは、もうどうしようもありません。

たしかに「異・同性からのモテ」視点で考えれば、これほど不利なものはありません。

 しかしそんな自分を追究しべんきょうすることで、楽しい世界や出会いも待っています。


卑怯な性質

これはさすがに、責任をもって引き受けている仕事の中ではあまり発揮されていませんが(つまり最近はあまりでてこない人格です)裏を返せば、状況把握が得意、きれいに収まるように動くことが出来る、ということでもあると思います。

 

 

こみゅ障ではないかとわたしのように悩むかた。

じぶんの良いところ見つけてみてください。

一人でできなければアメブロでも、こちらのはてなにでも、ご連絡を下さい。

 

「あなたがいないことにして回る世界」なんて、わたしはとても悲しいです。

 

ながお のぶこ

好きなものにおける好みさえわからなくなっているあなたへ

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私は以前二次創作の同人誌をつくっていました。

でもそこにあったのは、純粋に『作品を好き、キャラを好き』という気持ちだけではなく、今思えば「なんとかこれで先を切り開いていきたい」という気持ちであったと振り返ります。先を切り開くとは、自分の自尊心を埋めたいということでした。それがなにを意味するのかは以下に書きます。

 

①流行りのジャンルを、好きにならなければ・・・

同人界において、流行はどんどん変わっていきましたので、ゆっくりじっくり型が本質のわたしにはちょっと辛かったのです。でも、同人界でやっていくためには好きを超えて流行りの中でやる必要があると思いました。

 

②あの人が好きなキャラを、好きにならなければ・・・

完全に自分を見失ってます。自尊心の低さ、自信の無さなど、同人誌をつくる前にもっと確固とした「自分」という基盤を構成しなければ、なんの魅力もないものができあがるだけであった。

 

もしいま、好きなものにおける好みさえ、目先のことに囚われてわからなくなっている

方がいたら、私は伝えたい。

 

あなたの本当の中身、本当の好みから発信されたものでなければ、もし上辺だけお客さんがついたように見えても、相手の心に何も残すことはできないんですよ、と。

『真面目系クズ』

ameblo.jp

 

 

 たいへん私自身にあてはまる。

本当の「まじめ」からは嫌われる・・・それを社会人になってからよくよく経験した。

まじめに見せておいてクズだけど、それでなんとかやっていけるから、そのまま、足のつかない自転車をこぐように、なんとかやっていこうとする。

 

 それでも限界がきて、変わりたい、嘘をつきたくないという気持ちになり、たぶんこんなに自分の恥を晒す(お客さんに本来提供するものではない)ブログを名前出してやってる感じがします。

 

  

感謝も湧かざるを得ないわい

 <前回までのあらすじ>(嘘)

 もともと、占いや分析、個性学などが大好きな長尾。今回はホロスコープ読みを楽しむ毎日でした。そこで・・・

 

 

 

 

 水星0度ふたご座、これほんとうに私のホロスコープでしょうか。どっかの赤ちゃんと記入間違えたんとちゃいますかね。

 

度数について:sakoの止まり木:So-netブログ様より抜粋

↓↓↓

水星が0度だと表現が幼く、自己中心的になりがちなので、理論武装をしていてもよくよく考えるとつじつまが合っていないとか、単なる自己満足の表現になってしまうなどです。

 

 

ええ・・・っ!!!

当たって・・・る・・・・しかし!

この「敢えて表現を隔離する政策」は、わざとやっていたのではなかったか。

 

できないんじゃなくて、やらないだけだったつもりなのに

本当は、「出来なかった」のだ・・・

 

 

ショックすぎて浅虫で煮干中華そば食べたよ(・∀・)

 

 

 仕事しながら、こんなコミュ障のわたしとコミュニケーションとって授業してくれている生徒や、大根5本もくださった保護者様に、感謝の気持ちが湧いて泣きそうになりました。笑

 

ながお のぶこ