brance beansー痛い過去と新しい今へー

主人公ノブちゃんが痛い過去と向き合い今を創造していく過程です。本当は面倒くさい人間なのを、隠すのではなくて公開して向き合っていこうという企画です。

アノミーを防ぐ

 エミール・デュルケームの『自殺論』を久々に手にとりパラパラと捲りました。ぶ厚い本は、購入するのですが正直頭からお尻まで読み通したことがあまりないのです。この本はザックリと言うと「人は本来の自分を見失い(疎外)神の法がわからなくなり、どうして生きているのかもわからない状態(アノミー)になったときに自殺することがある」ということについて書いていたと思います。統計を用いて長く長く論述しています。1897年刊行なのですが、現代人でも簡単に、疎外状態やアノミーになりますよね。

 

 おそらくこの先も私自身は、自殺はしないと思われます。でも、「なぜだか辛くて辛くて、死んで(消えて)しまいたい」という気持ちになることはたいへん良くあります。そんなこともあり、「自分は何が好きでなにを求めているか」を追究し始めたのです。「言葉が出てこない」ということは多くありますが、人は、簡単に、自分自身のことを忘れてしまうものです。

 

 私の場合は、世の中で話題になっているもの、流行っているものに、その因果を求めて助けを求めていくつも足を突っ込みましたが、なんのことはない、そこでわかったのは、結局わたしは中学2年のときで止まっていたということです。『いだき講座』だけは幼児期胎児期、それ以前のものを解決してくれるので必須でしたが、14歳くらいのことになると自分で振り返ることが必要だったわけです。

 

 みなさんも、「まさかこんなところには、傷の陰は潜んでいないだろう」というところに案外それは”ある”かもしれません。それを「盲点」と呼ぶのでしょう。歩んできた中で、これだけ「精神的難民」のみなさんが多いということに驚きました。「親からの虐待」や「いじめ」など、わかりやすいテーマがあればそれは、ツライですが「向き合いポイント」が明確なので、助けを借りながら乗り越えている方が多いです。でも「盲点」にテーマがあった場合は、自分でも気づかないことが問題で、「何がツライんだかわからない」ということになりかねないのですよね。

 これは「他人と比べた」話ではありません。他人から「それはたいへんだったね」と言われても、「自分にとってはなんともない」ことだってあるように、溜まりどころというのは、自分自身でしかわからないものなのですよね。

 

ながお のぶこ