想像以上の頑固者
このブログ。どこまでもどこまでも、自分のこと、自分のこと、自分のこと、自分のこと。明日も明後日も自分のこと。次も次も次も…
自分の中の「奴隷」、自分の中の「貧乏な心」、そんなもの全てが炙り出される機会があって、もう逃げられないな、なんて思います。
あともう一つ、私は私をわかっていなかったことがありまして。
「理解力」あると思ってたんですが、どうもこれが、自分で思っていたよりも無い。
どんなときにそう感じるかというと、「誰かの言っていることがわからないとき」です。「わかったフリ」をします。だから余計にわからなくなってこじらせていくの。
そして「なぜわからないのか」というと。書きながら気付いたのですが、さっきの「理解力がない」は嘘ですね。
ズバリ「変わりたくないから」なんだなと、胸の宝物(と勘違いしていたゴミ)をいつまでもいつまでも握りしめていたいからに違いないよな、と、台風で雨風の凄まじい窓辺にて、一人ガクブルしながら気付きを体感しています。
-なぜ変わりたくないのか。-
このテーマは深すぎて探究しきれるか心配です。
「なぜ変わりたくないのか。」
「素直さ」を取り柄として生きてきたはずなのに、肝心なところで全く素直に人の話が聞けないんです。そしてまた「わかったフリ」。これは根強い。
はたまた、「取り違え」。わざわざ真実とは違うようにわざと受け止めて、違った方向に努力して自分を苦しめてみたりするの。
なぜそんなことをするの?答えは簡単。「幸せになりたくないから」でございます。
ではどうして幸せになりたくないのでしょうか?これも答えは簡単。
「幸せになったら、誰も助けてくれなくなる」からでございます。
ハァ?!なんだその思い込み!どこでそうなった?
-幸せになったら、誰も助けてくれなくなる。-
予期せず自分の中から登場した言葉です…。
「幸せになったら、誰も助けてくれなくなる。」
え、これって、真実じゃないですよね?
誰かに真の意味で助けられて支えられているからこそ、幸せなんですよね?
なんだかでっかい、「思い違い」を、しっかりと握りしめちゃってますね。
本当に「自分のかたくなな部分」にアプローチするような内容は、脳の理解速度が通常の半分以下になります。(笑)
相手の優しさや愛は感じるんだけど、言葉の真意が、つかめない。どういうことだ?
何に気付けばよいんだろう?
まだまだ「変わりたくない」を握りしめている私の視界には、
点線で描かれたような「気付くべき事柄」がぼんやりとしか見えず、気を抜くとやり過ごしてしまいそう。
現実を生きるためにこれまでどれだけ、わからないことをわかったフリして前のめりに生きてきたことか。
スカッスカッと空気を掴む音ばかりが響く。
フリでは実際なにも掴めていないのよ。
自分へのネグレクトを自分にし続けていては。理由も言い訳になってしまうね。
ながお のぶこ