嘘をつくとものすごく安心する。
ほんのちょっとしたことでも、仮にバレバレだったとしても、嘘をついて自分を守ると、とても人生がしっくりときて安心する。「嘘なく生きよう」と決めてから引きこもりがちとなった。(※仕事してます家で 笑)
そもそも他人は私のことなど、どうでもよいわけなので、わたしが1つや2つ嘘をついて自分を保っていたところで何ら差し支えないのだから、社交としてのごまかしであればある程度使っても良いのでしょうね。ここで「他人に嘘をついたことで、ついつい自分まで騙せてしまった」場合、自分をしっかりと見れなくなるので問題なのだろう。
他人に「午前中は、疲れてずっと寝ていました。ですから午後にお伺いします」としっかり本当のことなんて言う必要ないよね。言われた方だって逆に困るやろ。適当に社会的な理由つけてもらったほうが相手だって楽だし、世の中案外そういうふうにして、言わないだけでみんな生きているもんね。
さてさて、きっと今日も、わたしが考えるべき本題は、「この部分」ではないことでしょう・・・。
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人前に出るときは演技をする。だいたい年を取ってきたので、ふつうにしているだけで、お母さんとかおばあちゃんのような雰囲気がにじみ出る。だからそのまま、その場は行動する。でも日頃は、お母さんとかおばあちゃんの役割は別に本物がいて、私はこどもの役割をするしかない日々を選択しているので、本当の人生は、こどもでいるしかない。だから人前の私は演技の意識はない演技。
無理やりこどもで居させられているわけではない。主流だなと感じている理論でいえば、わたしがまだまだこどもでいることを選択している。
でもこれがとても、ツライ。だってもう本当は、こどもの年齢ではないからね。これほんとにツライ。でもどうやら、わたしが好きでやっているらしい。マゾです。オエー。
それでもな、こうして駄文を自分に嘘なく書き綴ることは楽しいよ。誰が読んでくれているのかもわからないけれど、チョコチョコへなちょこと、アクセスがあるのも嬉しいよ。
奇跡的に、わたしをわかって話をきいて助けてくれる人も出来たんだから、(彼氏じゃないけどな!笑)1人で潰れないで、なんとか人に話をして、自分を伝えて、生気を保っていきます。
ひきこもりがちな文章ばかりアップしているのだけれど、新幹線で仙台へ行って年下の友達とお芝居を見たりもしていた。この写真のあと、サンドイッチのお弁当(軽食)を食べたよ。
肥大化した自己肯定感ばかりが先走る顔をしているよな。
でも写真いれると、文字ばかりの黒い画面が緩和されるから良いかも。