『自分はコミュ障である』と悩むあなたへ
■私の場合は、一見コミュ障には見えないのです。
父親からも「ぜんっぜんそう見えない」と言われますし、
他者評価に頼りがちなわたしは、
「じぶんはリアルでのコミュニケーションに長けたほうだ」と思って生きてきました。
でもその内情は、いつも葛藤がありました。
じぶんは本当のことを伝えられない・・・いつでも嘘をついている・・・そういう感じが付きまとい、
人に(この件に関しては主に父親に相談しましたね)相談すれば「だいたいの人がそうだと思うよ」と言われ、とても苦しかった。
だいたいの人がそうなら、みんなはどこで、自分を見出して生きているんだろう。「だいたいの人がそう」って、相手の本当にいいたいことはわからないけど、わたしには、さしあたって「自分を否定された」感じしかなかったんです。
「だいたいの人が、そうなんだよ。お前が特別に悩んでいるわけではないんだから、さっさと前へ進め。=自分なんて捨ててしまえ。」
こう、言われているように、ずっと感じてきました。
※画像と内容は関係ありません。
(休息に貼ってみました)
10年前に、1人だけ、とても的確なことを言ってくれた(と私が感じている)友達がいます。
「話を『聴く』のは上手だし、見習いたいけど、対等なコミュニケーションにはなっていないと思うよ。(^^;」
この「(^^;」がどれだけ当時のわたしを苛立たせたか、ご想像がつきますでしょうか?
(笑)
でもこれが的確だったなぁとしみじみ。
■わたしは自分を上手に出せません。
しかし面倒なことに、「自分が無い」ということにして、その場を回すことは得意です。
「自分がもしいないとしたら」と仮定して状況を把握することが何故か出来るのです。
小学校くらいからそうだと認識してます。
だからコミュ障だなんて、最近まで思ったこともなかった。
そういった器用さと、あとは長所として割と誠実に人と接するところはあるので、仕事はお陰様でうまくいっています。
が、これを拡大していこうという気にならないので、いつまでも一定のところから成長していきません。
「私がいなかったら」と仮定した空間の中にも、私はいます。
これが想定外だったのです。
■「私」をもっと大事に人に晒していかないと、自分は拡大していかないのだなぁと、当然のような壁にぶち当たっているのです。
だから、おなじようにコミュ障気味(様々なパターンがあると思いますが)の方が居れば、お役にたてるかなと、こうして記してみています。
この壁を打開するには、おそらく、
「自分に残されている、なんでもいいから、長所・よいところ」
に着目すべきだと私は発見しつつあります。
短所も、裏返せば長所だったりもするのではないか。
例えば私で言えば
■面倒くさい性格
今まで完全に隠してきたつもりのものです。モテないのいやでしたし。
でも、本質的面倒くささは、もうどうしようもありません。
たしかに「異・同性からのモテ」視点で考えれば、これほど不利なものはありません。
しかしそんな自分を追究しべんきょうすることで、楽しい世界や出会いも待っています。
■卑怯な性質
これはさすがに、責任をもって引き受けている仕事の中ではあまり発揮されていませんが(つまり最近はあまりでてこない人格です)裏を返せば、状況把握が得意、きれいに収まるように動くことが出来る、ということでもあると思います。
こみゅ障ではないかとわたしのように悩むかた。
じぶんの良いところ見つけてみてください。
一人でできなければアメブロでも、こちらのはてなにでも、ご連絡を下さい。
「あなたがいないことにして回る世界」なんて、わたしはとても悲しいです。
ながお のぶこ