brance beansー痛い過去と新しい今へー

主人公ノブちゃんが痛い過去と向き合い今を創造していく過程です。本当は面倒くさい人間なのを、隠すのではなくて公開して向き合っていこうという企画です。

気に入っていた服が、そうでなくなってしまったの。

 奮発して買ったワンピースは独特のブランドのものだった。ある晴れた初夏の日に、さわやかな風が吹く展示室で、果たして6桁の金額を出していいものか迷った。

 購入するとすぐに着替えた。優しい日だった。まわりもみんなが口を揃えて「素敵だ」と褒めてくれた。きっと素敵なんだと思って、仲間の一人を助手席に乗せて、帰宅した。

 

 数週間後。同じブランドの熱狂的ファンである女性と小さなトラブルがあった。私の油断が原因であったと思う。こんなことであればなにも言わなければ良かったのだ。私の心は萎縮し、卑屈になった。彼女の敬愛する人間の完成させた美しいブランドを、乱暴で小汚い私が着用していては、迷惑だろう。そんな思考がよぎる。

 

 このワンピースを着て、写真を撮る予定だった。

 もう私の胸には、あの日のさわやかな風は吹いていない。

 

 ここでこのワンピースを着なければ、「別の服にしたのはあなたのせい」と卑屈に不幸を他人のせいにすることとなる。それはとても、悲しいことだ。さらに健康的な彼女には、この思考は一切理解不能であることだろう。「どうしてそれが、私のせいになるんですか?」と多少の嫌味を込めて言い返す姿が浮かぶ。

 

 私は少し疲れていた。

 

「いのちの大きさに戻る」

 子供じみたやり方を棄てる時が来ている。花子はそう感じた。

 品行方正に人を見下す貴族階級を見ては唾を吐き、キレイに敷かれたテーブルクロスをめちゃめちゃに引き裂いて、自分の歩んできた泥道を象徴する靴裏で気の済むまで踏みつける。またあるときは、偽善めいた美しき言葉を吐くその偽善を素手でキャッチしてはその玉に、煙草の吸殻を押し付けた上に唾を吐きかけ、思いつく限りの罵詈雑言と、琴線に触れる奇抜さをともに投げ返す。

 

「お前らのようにはならない。」

 

 もうそういうことをしている場合でないということが、早い秋の空気を通じて理解された。晴れた日の翌日の大雨と、さらにその翌日の晴れた日は、遠い時のやさしい記憶で彼女の内も外も包み込んだ。

 

 ながお のぶこ

教育・お行儀カーストに触れて

ameblo.jp

世の中に、こんなにも「鬱」になったりするくらい、幼いころから「勉強、勉強」言われて、親のいいなりにしかなれないような階層があることを、私は正直、最近腑に落ちて知ったのだ。


私は現在田舎で小さな学習塾を運営している。

先日東京へ出張したときに、いわれなき差別を受けた感覚になった瞬間があった。

都内の田園都市線沿いにて、相手に悪気はないのだろうけれど、

カースト」を意識して人と比較する教育の中、生きてきた人と会い驚愕した。
当然良い気持ちはしなかった。


私の田舎では、一部のところでは、「これが正しいのよ!絶対にやりなさい」という押し付けという、呼吸の出来ない状態があると思うのだけど、ほぼ中流くらいまでの階級の中では、あまりそんなことは起こり得はしない。

私はそういうこどもたちと一緒に何かをやったり宿題を片づけたりするのが大好きだ。

最近新しくお手伝いをしてくれる若い先生が出来た。

彼も、同じ地元で、都内の塾に勤務し、体を壊し地元へ戻った。

どんな世界を見てきたのか、もっと近しくなったら聞いてみたい。


冒頭のような、自分の意思や反応とは関係なく押し付けることを目的とした社会の中で、教育になんて一切触れたくもない。

野放しで育ててくれた親に、社会を知って初めて感謝の気持ちが湧いてきた。




私自身は現在子供はおらず独身である。

岡田さんの子育てセミナーには、たくさんの現役ママさんが訪れる。

どちらかというと「女」を楽しむお客さんが多いように見えるけど、私が参加したときは、そうとばかりもいえなく、様々な人がいた。


パンツ見えそうな服装だったり、パンツ見えてるだろう!という服装だったりは、
魂から欲する女性以外がいわゆるムーブメントに載ってしてしまったらキツいだろう、という意味で
(私がノリやすい体質なので)
そういう階層の多い場は得意ではないのだけれど、

私は岡田哲也さんの教育論に賛成だ。

田舎にいて、自分に近い人たちとばかり接しているときには、こういった記事を読んでも
「勉強って、そんなに悪いもんやろか?」と思っていたけれど、
東京から戻った新たな仲間と、自分が東京で偶然した「教育カースト」体験において、
そう確信した。


そういった流れで、岡田さんは、私がこれからも読者を続けていくであろう作家さんである。





※奥さんの大人気『子宮委員長はる』ちゃんは、青森の出身だそうですが、
(お会いしたことないのですが、ファンクラブに半ば興味本位で入会してしまい、
申し訳なかった・・・と思う今日このごろ。ただ、2冊出た本はどちらも購入しています。
好きだけども、ファンクラブ入る必要はない立場だった、と感じたということです。)
いっぱい勉強して優等生で、偏差値のかなり高い高校へご入学され、当時学習塾へお母様の送り迎えで通われていた、という記述が良く出てきます。

青森でもこういう人たちもいるってことだよね。( ̄_ ̄;)!!
そりゃあいるよね。私の周りにいないってだけなんだわ!!!今気づいた!!!(笑)

あ、そういえば、お医者さんの娘の、はるちゃんファンクラブと市内の美容室がきっかけで知り合った女性も、自分を殺して必死で勉強してきたと言っていた。



私はどうだったのかって?
野放しに育って、「塾へ行きたい」と自分から申し出れば行かせてもらえ、
「塾変えたい」といえば変えさせてもらえる、
かなり自由な環境でした。

もとの(中1とかの)成績があまりに悪すぎたこともあり、志望校や入学した学校は、市で一番良い高校ではなかったよ。(好きな子がそこへ行くということが大きかった。欲望のままにやればできる好例が私だ。)

家庭教師も付けてもらっていた時期があった。
その、青森公立大学の先生のお悩みを聞いたりするおかしな中学生だった。
でも楽しかったな。

母:「埼玉大学?そこ、あたまいいの?」
というふうに、熱心な親ではまったくなかったので、
そのことに「オイ!もっとちゃんと急かしてくれれば、専◎大学なんて半端なトコ卒業じゃなかったはずだよオイラは!」と長年思ってきましたが、

それも最近、崩れ落ちました。親には感謝しかなくなりました。
そして高校に入ったあとは、もうほぼ勉強せず、上京することばかり考えている女の子となりました。

日々、漫画のネームのことばかり考えて過ごす女の子となりました。




今朝も、リヤカーで、自家栽培・無農薬のお野菜を売りに来るおばさんからトマトをおまけしてもらって、とっても甘い野菜でできたソースをかけ、麺少なめのパスタを母といただいた。

おいしいね、といいながら、とてもしあわせだったのだけど、
こんな生活のほうが、都会からみたら、もしかしたら珍しいのかもしれない。
 
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ハイササイエティにおけるマニュアル

一度がんばってローササイエティにおけるマニュアルを身に付けてしまうと、今度はもう差別意識丸出しのハイササイエティのマニュアルを身につけることが億劫で仕方がない。

しかしながら私は代表者であり、こどもたちにものを教える身なので、そうとばかりもいっていられはしない。

ある程度恥ずかしくないものを取り戻しておかないと、ハイササイエティからのいわれなき差別において、いつかこの子たちが恥をかかされるかもしれない。


と、いうわけでマナーやら行儀やら服装やら、言葉やら乱暴でない仕草や態度やらを、

身に付けていくしかないのか…と前向きなような後ろ向きなような気持ちになっている。

そのようなインセンスを身に付けても、ハイササイエティバイアスのかかった人間になりたくないよ。。。

親しみのある笑顔
あたたかい環境
ずるい知恵
最高だ

乱暴でないふりを努力するのなんて(隠しきれるとも思わないけど)、差別してくるハイササイエティを巻くためにすぎないよ。

大人だから、巻かないと、守れないものがあるんだ。


ながお のぶこ

金は天下の回り物

 もっと苦労しなきゃ、もっとケチケチしなきゃ、管理をしなきゃ、と思いながら、やっぱり10年くらいは生きてきたわけで。出るときはでるし、入るときは入るという理を理解しはじめたのは最近です。で、その出入りを、細部は置いておいても、全体的には極力自分の理想通りに大きく動かしていこう、というのが今やりたいことなわけです。

 ここのあたりは、失敗して学び、失敗して学び、なにを学んだかというと、出るときも入るときも、大切なのは結局メンタルであるな、ということです。メンタルが強く明るく、前向きであることが、出るときも入るときも大切です。そして「目的」。なんのために生きているのか、を前提にしないと、なんのためにお金を遣うのか、がハッキリしてきません。

 

 なにを学ぶために、こんなにも安定を望む私が、こんなにもジェットコースターのようにお金を出したり入れたりしているのか。ときに苦しくはなりますが、意味を考えて、やりたい世界を構築するために邁進しています。

 

ながお のぶこ

夏休み

 タブレットのネット接続がなぜか途切れまして、この暑い中DOCOMOショップへ行くのが億劫で、そのままになっております。ガラケーがあれば仕事は出来るので、FACEBOOKに繋がりにくいということを除いてはそれほど不便なこともありません。動画が見られないので、移動中に元気を出すツールが一つ減っていますが。元気を出すときはコレ一発!というお気に入りアニメの動画が見られないよ。

 

 仕事ではちーーっちゃいい自習室というか教室を開けるようになって、生徒さんのためにしたことではありますが、同時に自分のやりたかったことなので嬉しい。私には、以前から、過ごしやすい部屋のようなものを貸出したり、家のようなものをいくつもつくりたいという欲求があります。環境の提供というのか。いまの課題は、生徒さんの成績が低迷しがちなことです・・・抜け出し口を模索しています。午前中にしていたアルバイトは、8月いっぱいで退職することにしました。受験に向け、精神統一が今から始まっています。婚活もそうなんですが・・・頭しっかり働かせて、預かった受験生たちがベストを尽くせるようにしていくという「やるべきこと」があります。うかうかしていたらあっというまに9月が来てしまう!

 

ながお のぶこ

 

 

 

 

余計なプライドの塊はすぐに諦める

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余計なプライドの塊は、「失敗したくない」ということを

自分の本当の意思や理念よりも優先しているので

すぐに諦める。

 

まるで、「他の誰か」が悪いかのようにしてね。

 

そんな姿は見る人から見たら

心底残念なものだろう。

 

「自由にしていいですよ」

「好きにしていいですよ」と

少し困った表情でため息を半ば漏らしながら表現することは

 

「相手の自主性を重んじる」という大義名分の皮を被った

怠慢であり逃げであることにお気付きだろうか。

 

それは、正論の皮を被っている分だけ、罪が重い。

 

 

ながお のぶこ